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平成から令和へ。
異例の10連休を伴ってやってくる「国家の祝賀」。 花見の季節は終わっても、そのまま心はお祝いムード、なんていう方もおられるでしょうか? おっと、そんなのどこ吹く風。 連休もフツーに仕事ゆえ、「お祝い感ゼロ」という方。 いやいや、お祝いどころじゃない。 休みが続けば仕事が出来ず。 もはや5月の生活は、食うや食わずやの大ピンチ…という方も、大勢おられると聞きます。 国家行事に振り回される……それが実際のところなのかもしれませんが、ところで私達が、このように「振り回されて」しまうのは、この<お祝い>が「国家の祝賀」だからでしょうか? それはむしろ、<お祝い>のもつ性質によるものだということは……ないでしょうか? 卒業・入学、結婚、出産、誕生日、七五三……。 節目節目に、あるいはそうとは言わずとも。 仕事が上手くいったから、とか。 素敵な出会いがあったから、とか。 生活の折々、様々な出来事について、私達は言葉を考えたり、贈り物を選んだりして<お祝い>をします。 そうした<お祝い>は、一体、何のためにするものなのでしょう? 「無粋な質問」 「したいからやってるだけ!」 「それは心の問題」 そんな風に感じられる向きも、あるかもしれません。 でも一方で、例えばあんまり親しくないんだけど、付き合いだからしょうがなく、とか。 正直ビミョーなプレゼントだけど、とりあえず「ありがとう!」って言っておいた、とか。 あるいは<お祝い>の形式が、逆に「気持ち」を伝えることを阻んでしまうということも、あるのではないでしょうか。 帯に短いような、でもタスキには長いような――どうにもしっくりしない、<お祝い>。 なぜ私達は、<お祝い>に振り回されてしまうのでしょう? <お祝い>とはそもそも、どのようなものなのでしょうか? お互いに聞きあい、話し合いながら、考えてみたいと思います。 ■アクセス:幡ヶ谷駅徒歩2分(京王新線) ■参加費:無料 ※お一人様、それぞれ一品以上のご注文をお願いします メニューはこちら https://www.sakura-cafe.asia/hatagaya/menu.php ■申込み ※おおまかな人数を把握したいので事前にご連絡頂けると助かります ⇒hatoba.de.dialogue@gmail.com ※会場入り口付近に段差がございます。入場にご不安を感じる方は、事前にご連絡下さい。可能な限りの対応をさせて頂きます。 ※会場内のトイレは、男女別となっております。また、どちらの入り口も車椅子が入るほどの広さはございません。 (店舗近くに車椅子に乗車したまま入室可能で、かつ性別を選ばずご利用頂けるトイレがございます) 波止場てつがくカフェ E-mail: hatoba.de.dialogue@gmail.com twitter: @hatoba_dialogue web: hatoba-de-dialogue.net 本イベント提供者
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