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昭和6(1931)年、一人のオランダ人宣教師が来日した。彼の名前はG・グロート(Gerard J. Groot)。終戦直後の千葉県市川市に日本考古学研究所を設立した人物である。
グロート神父は神言修道会(神言会)に所属し、布教活動の一方で赴任地付近の遺跡を発掘するなど、積極的な研究活動をおこなっていた。昭和21(1946)年9月、神言修道会を母体とする「日本考古学研究所」を設立し、学界中央の研究者をスタッフに迎えて自ら所長に就任した。 研究所では、茨城県の花輪台貝塚や中妻貝塚、千葉県の二ツ木(向台)貝塚・姥山貝塚・中沢貝塚などの発掘調査や、機関誌『日本考古学』の創刊など、活発な研究活動をおこなったが、昭和27(1952)年にグロート神父が神言修道会のオランダ管区に移籍することになり、姥山貝塚の報告書の出版を最後に帰国の途についた。 後任の所長には、J・マーリンガー(Johannes Maringar)神父が就任したが、昭和33(1958)年に神父がスイスのアントロポス研究所に赴任する際、研究所が閉鎖されることになったため、同じ神言修道会が経営する南山学園にこれらの収蔵資料の大半が移管された。 本年は、考古学研究所から収蔵資料が移管されて50年という節目の年にあたり、この機会に市立市川考古博物館の全面的な協力を得て、グロート神父や日本考古学研究所の活動を学内外に広く紹介することにした次第である。 南山大学人類学博物館 〒466-8673 名古屋市昭和区山里町18 052-832-3111(代表) ※月曜日〜土曜日 10:00〜16:30
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